柊野日記〜Hiragino Diary〜

「人生一度きり、やりたい事やろう」なんて言われるけど、現実はそう簡単じゃない。少しでもやりたい事を追い求めていくブログ。

【本 3/36】日日是 好日

こんばんは。

さがみさがなかでございます。

 

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日日是好日    にちにちこれこうじつ

森下 典子

新潮文庫

2008年11月発行

 

去年から気になっていた、この本を読みました。

映画化され、昨年10月に公開されたので有名ですね。

 

僭越ながら(?) ワタクシ、少しだけですがお稽古(表千家)をやっていました。

残念ながら、関東→関西への転勤に伴いお休み中です。

お休み中なのは、出張の際、新幹線の駅近くに教室があるため、帰り道にお稽古に行っていたからである。

 

お月謝も決して安くはなく、ワタクシのお財布事情には優しくない。

始めたきっかけは、父の仕事が茶道具に関連していたからだ。何故か興味を持ち、始めてみた。

始めてみたら作法や、器に掛け軸、難しいことだらけであるが、非日常な世界を

とにかく感じた。

お茶会や懐石にも参加した。

 

お財布には優しくないが、お稽古に行くと、金銭云々では無いといつも感じていた。

 

しかし、一旦間隔が開くと、行く勇気が無くなり遠ざかっている。

もう2年近く空いてしまっている。

 

この本は、そんな自分自身を考えさせる一冊であった。

 

では、ワタクシが気になった部分、11箇所引用致します。

 

1、世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

P5

 

2、人は時間の流れの中で目を開き、自分の成長を折々に発見していくのだ。

P8

 

3、ものを習うということは、相手の前に、何も知らない「ゼロ」の自分を開くことなのだ。それなのに、私はなんて邪魔なものを持ってここにいるのだろう。心のどこかで、「こんなこと簡単よ」「私はデキるわ」と斜に構えていた。私はなんて慢心していたんだろう。

つまらないプライドなど、邪魔なお荷物でしかないのだ。荷物を捨て、からっぽになることだ。からっぽにならなければ、何も入ってこない。

(気持ちをいれかえて出直さなくてはいけない)

心から思った。

「私は、何も知らないのだ……」

P48

 

4、私は、水音の「神秘的」と言っていいような効果に、驚いた。子供のころに読んだ「ギリシャ神話」に、不死身の戦士が登場した。戦争で傷を負い、何度も地面にばったり倒れるが、両手が大地に着くとたちまちよみがえる。あれはきっと、人間は「自然」に触れれば回復する、という意味だったのだ。

「水音」が聞こえるだけで、人はリラックスし、疲れを忘れる。私はいつの間にか、「自然」とつながっていたのだ。

P132

 

5、だからこそ、私は強く強く思う。

会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら溺れよう。

嬉しかったら、分かち合おう。

幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。

だから、だいじな人に会えたら、共に生き、だんらんをかみしめる。

一期一会とは、そういうことなんだ……。

P196

 

6、世の中は、前向きで明るいことばかりに価値をおく。けれど、そもそも反対のことがなければ、「明るさ」も存在しない。どちらも存在して初めて、奥行きが生まれるのだ。どちらが良く、どちらが悪いというのではなく、それぞれがよい。人間には、その両方が必要なのだ。

P201

 

7、「お釜の前に座ったら、ちゃんとお釜の前にいなさい。心を『無』にして集中するのよ」と、先生は言う。

二十年お茶をやっていても、私はちっとも「無」になんてなれない。頭の中が、「考え事」に占領されている。仕事が気になる。帰ったら片付けなければならないことがある。迷い、後悔、心配……。

それらが切れ目なくつながって、次から次へとわいてくる。

なんだか、二十代より三十代、三十代より四十代と、年を重ねるほど「無」とはほど遠くなる気がした。頭を休めたくとも、休めない。考えなくとも、考えてしまう。まるで、頭の中で二十日鼠を一匹飼っているみたいだ。そいつが、クルクルクルクルと車を回すから休めないのだ……。

P203

 

8、私たちはいつでも、過去を悔やんだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。どんなに悩んだところで、所詮、過ぎ去ってしまった日々へ駆け戻ることも、未来に先回りして準備することも決してできないのに。

過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ。過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気づくのだ……。

P217

 

9、雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には身の切れるような寒さを味わう。……どんな日も、その日を思う存分味わう。

お茶とは、そういう「生き方」なのだ。

P217

 

10、学校もお茶も、目指しているのは人の成長だ。けれど、一つ、大きくちがう。それは、学校はいつも「他人」と比べ、お茶は「きのうまでの自分」と比べることだった。

P229

 

11、お茶は、季節をめぐりながら、干支のサイクルを永遠にめぐり続ける。それに比べて、人の一生は、せいぜい六周か七周。

それがいかに限りある時間かということを垣間見る。そして、限りがあるからこそ、慈しみ味わおうと思うのだ。

P237

 

読んで頂き有難うございました。

後はいつにじることが出来るのか?